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更新情報
2019. 08.22 NEW

照喜名朝國 独奏会

安冨祖流師範  照喜名朝國独奏会”沖縄の心を歌う”が、令和元年11月8日(金)東京の紀尾井ホールで行われます

2019. 08.03 NEW

第54回琉球古典芸能コンクール、安冨祖流優秀賞、最高賞結果発表

第54回琉球古典芸能コンクール(琉球新報社主催)の安冨祖流三線・優秀部門が7月30日に、最高部門の審査が8月

2019. 07.29 NEW

第54回琉球古典芸能コンクール 安富祖流三線新人部門審査結果

第54回琉球古典芸能コンクール(琉球新報社主催)の安冨祖流三線・新人部門の審査が7月27日にありました。

会長挨拶
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安冨祖流絃聲会 第17代会長

宮里 敏則

 琉球古典音楽安冨祖流絃聲会は、昭和2年(1927年)金武良仁初代会長のもと会員8名で発足しました。昭和18年(1943年)戦争で活動を休止しましたが、昭和23年(1948年)疎開から引き揚げて来た古堅盛保を中心に、主だった会員が首里当蔵の古堅盛保宅に集まり戦後活動を再開しました。

一方、戦争捕虜でシベリアに抑留されていた宮里春行が復員したのは昭和23年(1948年)のことで、誰よりも喜んだのは古堅盛保でした。宮里春行は復員後早速活動を開始し昭和26年(1951年)研究所を開設、弟子の育成や鑑賞会の開催など活発に活動を展開し、人間国宝の照喜名朝一や西江喜春など優秀な弟子を育成し、安冨祖流楽祖之碑の建立など戦後安冨祖流の礎と言われています。

 昭和63年(1988年)沖縄コンベンションセンター展示棟で観客4、000名を集めて開催された創立60周年記念公演は、現在も伝説となっており、それを機に安冨祖流絃聲会の爆発的躍進が始まりました。以後平成9年(1997年)70周年、平成19年(2007年)80周年と周年公演は続きました。平成29年(1917年)の90周年記念公演は、国立劇場大劇場、小劇場全館を貸し切って公演を開催するなど、組織は拡大し琉球古典音楽二大流派の一翼として大きく発展を遂げました。

 安冨祖流絃聲会は昭和、平成、令和まで三つの時代を繋いで93年が経過しました。金武良仁から現在まで、過去17代に亘る役員を中心に三世代の歴史を紡いできたことになります。新たに始まった令和の時代に、安冨祖流絃聲会をどう発展させていくかが今後の大きな課題になります。古典芸能コンクールが始まって55年、歌・三線の延べ合格者は1486人、笛167人、胡弓52人、合計1705人を数えます。また、歌・三線の師範教師が438人、同笛54人、同胡弓22人が在籍しており、会員一人々が何らかの形で絃聲会に関わり合うことこそが組織の発展に貢献することと確信しています。

 新たな令和の改元の年に当たり、会員の益々のご清祥とご発展を祈念し挨拶と致します。

琉球古典音楽安冨祖流絃聲会
会長 宮里敏則

マークの由来
マーク

当流始祖屋嘉比親雲上(注1)(朝寄)は、尚敬王の側近、謡曲の師匠として音楽的才能を発揮し、謡曲によって得た知識と体験とにより、琉球古謡を参酌し、湛水親方(注2)から澤岻・新里・照喜名の各師匠を経て継承された歌道をとって三絃楽を改革し、又、新しく作曲して当流を打ち立て、支那楽譜を用いて初めて琉球声楽の楽譜を作り、豊原里之子(注3)親雲上及び仲田里之子親雲上に之を継承した。豊原里之子親雲上は、屋嘉比親雲上の歌道を

正しく受け継ぎ、之を知念積高という音楽の大天才を養成して世に出した、特筆すべき人である。 知念積高は、豊原里之子親雲上に歌道を学び、音声曲節兼ね備わった音楽の大天才で、豊原師も「彼、歌道を伝えて吾に優れり。」と賞賛されたとのことである。

知念積高は、屋嘉比師編纂の楽譜を点検し、不備の箇所を整備し、なお自作による「花風」等を入れて工工四(注4)を編纂、当流を完成し、之を安冨祖親雲上、並びに翁長、野村両里之子に伝承した。
安冨祖親雲上は、知念師の歌道を正しく受け継ぎ、終始一貫当流の正派を守り、安室親雲上を後継者として厳格に養成した人である。
安室親雲上は、金武良仁を育て工工四を編集し現在の安冨祖流の基礎を築いた。
琉球古典音楽は屋嘉比親雲上以来当流と呼ばれて来たが、昭和2年(1927)金武良仁中心に安冨祖流絃聲会が設立され現在に至っている。

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