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2024. 11.17 NEW

第38回鑑賞会 絃聲のひびき〜稽古〜

公演まで1ヶ月をきり、稽古にも熱が入ってます。秋の演奏会終了後の合同稽古、演目事に分かれての稽古と日々頑張っ

2024. 11.12 

第38回鑑賞会 絃聲のひびき

安冨祖流絃聲会の鑑賞会は昭和33年(1958年)に当時那覇市にあった琉米文化会館において、宮里春行研究所が第

2024. 11.11 

令和6年度秋の演奏会

令和6年年11月10日、豊見城市社会福祉センターにおいて秋の演奏会が催されました。照喜名進会長の挨拶のあと、

会長挨拶
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安冨祖流絃聲会 第18代会長

照喜名 進

安冨祖流絃聲会 執行部役員
会  長 照喜名 進
副 会 長 渡名喜 康広 花城 英樹 松本 紀
事務局長 大城 清順
書  記 又吉 由美子 幸喜 信明
会  計 高良 幸則

「歌をうたふ時、形容端正にして三味線を採り、折ふしの情を心におもふてうたへば、おのずからその情音声に彰る。是則古人のおもへいりといふ儀なり」
 これは安冨祖流の流祖である安冨祖正元が遺した「歌道要法」の中の一文であります。演奏者が歌詞の意味や背景を理解して心から歌うことの重要性を説き、邪心や慢心を戒めています。格調高い精神性と優れた芸術的才能を備えた音楽家達によって磨かれてきた琉球古典音楽は、琉球王朝の式楽として、外交 上の重要な式宴や王朝の式典の際に大きな役割を果たしてきました。
 琉球古典音楽安冨祖流絃聲会は先達の先生方が崇高な理念でもって正しく継承し発展させてきた安冨祖流古典音楽を深く学び、技芸を自ら体現する発表の機会を会員に広く持たせ、もって社会の御批評を仰ぐことにより会員全体の技芸の向上と相互の連携を揺るぎないものにするという志が伝統となった活発な音楽団体であります。
 初代の金武良仁師から先代の17代会長、宮里敏則師まで、歴代会長が残された多大なご功績を顕彰し、理念を引き継ぎ、さらに発展させていくことが私たち安冨祖流絃聲会執行部の大きな使命と位置付け、会員一人一人が実演家として社会と大きく関わり、安冨祖流を内外に発信していくことを組織として推奨し、バックアップしていきます。
 むすびに、平素の会活動へのご理解とご協力に感謝申し上げますとともに、皆様のますますのご健勝を祈念申し上げ、ご挨拶と致します。

琉球古典音楽安冨祖流絃聲会
会長 照喜名 進

マークの由来
マーク

当流始祖屋嘉比親雲上(注1)(朝寄)は、尚敬王の側近、謡曲の師匠として音楽的才能を発揮し、謡曲によって得た知識と体験とにより、琉球古謡を参酌し、湛水親方(注2)から澤岻・新里・照喜名の各師匠を経て継承された歌道をとって三絃楽を改革し、又、新しく作曲して当流を打ち立て、支那楽譜を用いて初めて琉球声楽の楽譜を作り、豊原里之子(注3)親雲上及び仲田里之子親雲上に之を継承した。豊原里之子親雲上は、屋嘉比親雲上の歌道を

正しく受け継ぎ、之を知念積高という音楽の大天才を養成して世に出した、特筆すべき人である。 知念積高は、豊原里之子親雲上に歌道を学び、音声曲節兼ね備わった音楽の大天才で、豊原師も「彼、歌道を伝えて吾に優れり。」と賞賛されたとのことである。

知念積高は、屋嘉比師編纂の楽譜を点検し、不備の箇所を整備し、なお自作による「花風」等を入れて工工四(注4)を編纂、当流を完成し、之を安冨祖親雲上、並びに翁長、野村両里之子に伝承した。
安冨祖親雲上は、知念師の歌道を正しく受け継ぎ、終始一貫当流の正派を守り、安室親雲上を後継者として厳格に養成した人である。
安室親雲上は、金武良仁を育て工工四を編集し現在の安冨祖流の基礎を築いた。
琉球古典音楽は屋嘉比親雲上以来当流と呼ばれて来たが、昭和2年(1927)金武良仁中心に安冨祖流絃聲会が設立され現在に至っている。

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