平成28年9月22日(木・祝日)午前9時30分より、沖縄県立博物館講座室において「師範・教師研修会」が実施されました。この研修会は安冨祖流執行部が、琉球古典コンクール歌・三線新人部門受験者の減少を受けて危機感を感じたことと、来年の安冨祖流絃聲会創立90周年に向け、会員の拡大と組織の連携強化を図るため、今回はじめての取り組みとして、県内在中の全師範教師を対象に開催されました。
当日は、師範・教師約80名が参加し大変盛り上がりました。
※このページの後半に、研修会に参加したお二人からの感想文を掲載してあります。
講演1 照喜名朝一(国指定重要無形文化財「琉球古典音楽」保持者
講演2 新城 亘 (安冨祖流絃聲会師範)
師範・教師研修会に参加して (安冨祖流絃聲会師範 大嶺雅規)
研修会での主な内容は次の通りでした。
始めの挨拶の中で宮里会長から古典芸能コンクール受験者数が減少傾向にあること、とりわけ今年は新人賞の受験者数が極端に少なかったことが報告されました。次に新城亘氏から「安冨祖流の楽人たち」と題して安冨祖正元以降、昭和前期まで系譜を添えて相当数(系譜載っているだけで90人以上)の安冨祖流奏者が紹介されました。最後に照喜名朝一氏から「安冨祖流の継承について」と題して安冨祖流(宮里春行先生)との出会いからご自身が体験してきた芸能活動を様々なエピソードを交えてお話していただきました。
これらの話を聞いて安冨祖流継承の難しさ(面白さでもありますが)について感じたことを個人的な経験をまじえて書いてみます。
稽古では正座して師匠と対面し、左手、右手の動きを見ながらそのまま真似るように指導されます。手の動きが師匠を一緒になれば歌もそのうちできてくると何度も言われました。習い始めの頃は尺のウスイミーが弱い、右手を上げるのが速い、左手の動きが似ていない、ミージルが強い、左腕(三線)が下がっている、姿勢が悪いなど、指摘されるたびに何度も中断です。何とか1曲を通して終えてもとても覚えられそうにありません。(これはあくまで私の事でこんなこと指摘されない弟子はいます)。それでもとにかく、手も、体の動きも、口の開け方もとにかく真似ます。そのうち少しぐらいは師匠に似てきたかなぁと思うこともあります。
基本的には楽譜を使わず何度も何度も稽古することで体(主に両手)の動きとともに歌が師匠と一つになることを目指していると思われます。そして、できるかどうかはわかりませんが十分に師匠の技と一つになった後、更に稽古をつめばその型を内側から破っていく揺らぎのようなものが出てくるのかもしれません。私には出来ない事ですが。
照喜名朝一氏は研修会などで歌の伝え方として凧紐のたるみ、放り投げた風船が階段をゆっくり跳ねて落ちていく様子、小さな溝をひょいと飛び越える感覚、海のゆったりとしたうねりなど自然の動きを使ってうまく説明しています。習得の難しい芸の深いところを弟子に伝えるための工夫です。
安冨祖流の音楽を習得するには、長い期間にわたって(おそらく一生)師匠に稽古をつけてもらう必要があるということでしょう(才能に恵まれた例外的な人もいると思います)。
こんなに手間と時間がかかるんじゃ稽古を続けるのも大変です。安冨祖流奏者がなかなか増えないのももっともだなとつい思ったりします。
でもそれじゃ困りますね。
安冨祖流の系譜を見てみます。たくさんの安冨祖流奏者が名前を連ねていますが、現在活躍している安冨祖流実演家に繋がっているのは安室朝持→金武良仁→古堅盛保→宮里春行・比嘉徳三→という一つの流れです。誤りがあるかもしれませんがこの時期の他の多くの安冨祖流奏者には現在につながる後継者がいないように見えます。当時は戦争や社会的な事情から芸能を次世代に伝えるのが大部分の人には困難だったのでしょう。もしかしたら安冨祖流の音楽が現在に伝わらなかったかもしれないと思うとぞっとしますね。
しかし誰でも知っているように宮里春行先生、比嘉徳三先生の後を継いだ師匠たちはそれぞれ多くの素晴らしい弟子を育て上げてきました。そして現在若い実演家たちがたくさん活躍しています。それとともに力量のある指導者も増えています。安冨祖流の歌を習得するには手間と時間がかかりますが、これからも安冨祖流の新しい仲間を数多く迎えることは十分期待できます。
安冨祖流の歌は実際に歌ってみて楽しく面白い、そして、歌っていて気持ちがいい。私もこの素敵な歌をいくらかでも伝えることができればと思っていますが、そのためには仕事を少し減らしたほうがいいのかなぁと少し悩んでいます。
師範・教師研修会に参加して (安冨祖流絃聲会師範 松本 紀)
去る9月22日秋分の日に、県立博物館内の講座室において、安富祖流師範・教師会が開催され、そこに参加した。冒頭、宮里敏則会長より今回の研修の趣旨説明と挨拶があり、その後安冨祖流の新城亘先生、照喜名朝一先生の講話となった。
新城亘先生からは、「安冨祖流の楽人たち」と題し、特に昭和初期から近年までの安冨祖流の先生方のエピソードや、その子孫の方々との会話の内容を紹介して頂き大変勉強になった。<安富祖―安室―金武―古堅―宮里>の継承の流れは分かっていたが、同じ時代を生きた先生方は殆ど名前も分からない方が多くいたので、今後安富祖流を勉強する上でも知っておくべきだと感じた。
照喜名朝一先生からは、古典音楽の世界に入った時の話や宮里春行先生との思い出の話、また安冨祖流を盛り上げたいと言う強い思いを聞かせて頂いた。中でも印象に残った話は、戦中戦後の混乱期の中で宮里春行先生がいかにして安冨祖流を継承するために尽力されたか、と言う話だった。
戦後、宮里春行先生が大病に伏せている時、安冨祖流の仲間が枕元で「宮里を死なせていけない。安冨祖流が途絶えてしまう。」と夢うつつの中で聞こえ、その時「安冨祖流のために尽くそう」と決意された、と言う話には大変感銘を受けた。
お二人の講話を聞き、その時代時代で先人達が継承してきた「安冨祖流」を、今の時代を生きている自分達がより一層頑張らなければならないと感じた研修となった。